津軽新田と共に歩む
西津軽土地改良区

歴史1 江戸時代
津軽藩主 年 号 西 暦 史 実
1代 為信 天正5年 1577 大浦為信、広須村(現在のつがる市柏広須)に入り民情視察。
このとき既に工藤、山崎、花巻の名家で水田を耕作していた。
2代 信枚 寛永1年 1624 亀ヶ岡大溜池(現在の館岡大溜池)を築く。
3代 信義 正保1年 1644 土淵堰の前身である長瀬堰を開削する。費用の大部分は藩費により支弁される。
4代 信政 寛文4年 1664 廻堰大溜池築造。この水を広須村の用水に充てる。
4代 信政 天和1年 1681 この頃から津軽新田の水政を司らせるため土淵堰奉行を置く。土淵堰の掘削、維持管理費は大部分藩費で支弁された。土淵堰奉行は水下人民中から採用され、苗字帯刀を許され資格は士族に準じ、用水方、排水方(工事係)各2人が置かれた。
7代 信寧 明和4年 1767 3月土淵堰野木定盤設置される。
9代 寧親 文政2年 1819 川村水門築造。

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